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日本共産党参議院議員・医師 小池晃 アーカイブ[〜2008]

8 月 25 日

ラゴス・チリ大統領を、

モネダ宮に訪問しました

 
チリ大統領府(モネダ宮)の入り口
 
 

 10 時にバスで大統領府へ向かいました。サンチャゴの中心部に大統領府(モネダ宮)があります。ここも塀に囲まれるわけでもなく、道路からすぐに入れる構造です。正面の広場には、サルバトール・アジェンデ大統領の銅像がありました。モネダ宮は、73 年のクーデターの際にアジェンデ大統領が立てこもったところとして有名です。

 チリは世界で初めて、選挙による社会主義政権が実現したことで有名です。共社連立によるアジェンデ政権は、今からちょうど 30 年前の 1973 年 9 月 11 日、軍部によるクーデターで倒されました。アメリカ CIA の関与も指摘されています。

 その後ピノチェットによる軍事独裁政権下で多数の左翼活動家が投獄、殺害されました。

 当時の軍事政権の暴虐は、ミゲル・リティン氏の記録映画や、あの名作「サンチャゴに雨が降る」「ミッシング」などにも描かれました。私も学生時代、当時の「チリ人民連帯委員会」の呼びかけたクーデター十周年の抗議行動に参加した記憶があります。

 しかし、軍政への抵抗運動はねばり強く続けられ、88 年の国民投票で民政移管を決定。その後中道左派政権(キリスト教民主党、社会党など)が続いており、現在のラゴス大統領は 2000 年 1 月の大統領選挙で当選しました。ラゴス大統領は、アジェンデ以来 27 年ぶりの社会党の大統領です。

 私たちを迎えたラゴス大統領は、民政移管後、チリの民主主義が発展していること、そして、経済的には北米、EU 、アジアとのバランスのとれた関係を追求していること、その点で日本に対する期待の大きいこと、チリは「太平洋国家」としての発展に力を注いでいることなどを強調していました。

 その後、市内をまわりました。サンクリストバルの丘から市内を一望したのち、アルマス広場へ。大聖堂、サンチャゴ市役所などが広場を囲むように立ち並んでおり、広場では出し物も行われ、サンチャゴ市民の憩いの場となっているようです。

 行列ができているので何かと思ったら、「コレステロール値の無料測定」とのこと。チリでも高脂血症は大きな問題となっているようです。

 サンチャゴの夕日を見ながらホテルに戻りました。今は日本時間で午前 8 時ですから、この夕日が日本では朝日として見えているということです。なんだか不思議な気分になりました。

 夜にはホテルで倉田議長主催のレセプションが行われました。駐チリ大使の小川元氏(前衆議院議員)によれば、現在の国会議員はほとんどが軍政時代の亡命経験者。ただし与党の中でも、キリスト教民主党は社会党と違って世襲で富豪の議員が多いとのことでした。

 レセプションでは、サルディバル上院議長(キリスト教民主党)、キリスト教民主党党首(サルディバル上院議長の弟)、カルロス・オミナミ上院議員(社会党、日系三世、上院議員二期で現ラゴス大統領の選挙参謀)などと懇談しました。

 ここでも「日本共産党」と名乗ると質問攻めに。いろいろな人から日本共産党の方針や議員数、他国との関係など聞かれました。

 参加者には各国のチリ大使もいましたが、インド大使は、私が日本共産党の名刺を出したとたん、満面の笑みを浮かべて話しかけてきました。彼によれば、「共産党はインドでは大きな政党。西ベンガルでも、私の出身のケララ州でも政権をとっている。共産党が政権をとっている地域の人口は多く、教育が行き届き識字率は高い。住宅も整備されホームレスがいない」とのことでした。インドにおける共産党の存在感をうかがわせました。


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