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日本共産党参議院議員・医師 小池晃 アーカイブ[〜2008]

8 月 26 日

国会のある町「バルパライソ」へ

 今日は国会のあるバルパライソへ向かいます。サンチャゴから 170 キロも離れているのですが、軍事政権時代の 90 年に国会がサンチャゴから移転したのです。ピノチェットが、自分のそばから国会を離したかったのではないかと言われています。

 バルパライソの意味は「天国の谷」。荒れ狂うホーン岬をこえてくるとたどり着く、おだやかな良港ゆえの命名でしょうか。

 パトカー、白バイ先導ですっ飛ばし、1 時間半で到着。港をとり囲むように広がる丘の斜面を這うように、色とりどりの家が建ち並んでいます。最近、世界遺産に指定されただけのことはある美しい町でした。

 その後国会へ。大々的な歓迎行事が行われる中、国会に入ります。

 
チリ下院本会議場は、会議中もガラガラ
 
 

 最初に下院へ向かいました。下院は本会議中でしたが、出席者は驚いたことに 120 名中 30 名ほどです。しかもみな歩き回ったり、携帯電話で通話したりと、まったく集中していません。韓国との FTA の締結についての委員長報告という、重要な審議なのにと、ビックリしました。

 そういえば、アメリカ議会を傍聴したときにも、本会議場に議長と発言者しかいませんでした。どうやら、本会議の議論は議事録に残りさえすればいいという考え方のようです。 傍聴席のいすは、議員席と同じデラックスなイスで座り心地はバツグンですし、300 席以上あります。高校生らしき一団も傍聴していましたが、おしゃべりしていてもなんのおとがめもなし。「日本の傍聴席もこうでなきゃ」と思いました。

 委員長報告が終わったところで、本会議が一時中断され、日本からの議員の一行ということで、イザベル・アジェンデ下院議長が各議員の名前を読み上げて紹介。拍手を受けました。私の名前もチリ国会の議事録に残ったというわけです。

 
アジェンデ下院議長と
 
 

 その後、アジェンデ下院議長(社会党)とも懇談しました(あのクーデターで倒されたアジェンデ大統領の娘さんです)

 議長は「クーデター直後に母親とともに訪日し、日本で熱烈な歓迎を受けたことを覚えている。支援のための集会にも参加した。その後、チリでは民政移管し、民主主義が発展している。今日は日本の野党の議員も含めた代表団が来られたことに対して、心から歓迎する」とあいさつしました。

 北朝鮮問題について倉田議長が協力を要請するとアジェンデ女史は「チリは安保理事国。多国間の議論の中で核開発問題も解決したい」と。イラク問題についても言及し、「チリは最後まで平和解決を求めたが戦争開始は残念。引き続き平和的解決を求めたい」とのことでした。

 メキシコにしてもチリにしても、イラク問題での国連中心の平和解決という姿勢は明白です。両国ともアメリカや日本から強い圧力を受けたにもかかわらず、最後までその姿勢を崩しませんでした。ポリシーなきアメリカ属国のニッポン外交とは大違いです。

 その後、サルディバル上院議長と懇談ののち、上院議員団と昼食会を持ちました。

 私の隣に座ったのは、副議長のカルロス・ボンバル氏(野党;右派)でした。

 日本共産党の議席数や方針について質問をうけ、当面の改革の課題は安保条約の破棄によって対米従属を打破して真の独立を実現すること、大企業への民主的規制で、社会主義的な改革は将来の課題と説明しました。ボンバル氏はうなずいて聞きながら、「チリ共産党は古い社会主義に固執しており支持を得られていない」とコメント。

 チリ経済については順調な成長との説明があり、「短期の投機的資本の規制は」との問いには「重要な課題で、現在も規制を行っている」とのことでした。

 その後、チリ上院議員による「智日友好議員連盟」のメンバーと懇談しました。オミナミ議員が、チリが韓国との FTA を実現したことについてふれ、チリがアメリカや EU とともにアジアとの関係を強化していく上で、日本との FTA が決定的に重要であると訴えていました。

 その後、倉田議長の叙勲に同席するため、上院本会議場へ入りました。予鈴がいつまでも鳴っているので、オミナミ議員に聞くと、議員の過半数が出席するまで鳴り続けるとのことでした。10 分ほど鳴り続け、ほぼ全議員が出席する中で、私も本会議場の中央に着席。倉田議長は壇上へ。サルディバル上院議長から勲章を受けました。

 そして倉田議長が答礼のあいさつをおこなって、議場を退席。オミナミ議員は出ていくときにも目が合うとウインクしたり、手を振ってくれたり、すっかり親しげでした。


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