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日本共産党参議院議員・医師 小池晃 アーカイブ[〜2008]

9月6日(月)
北京で中国要人と
次々に会談

 最初に向かったのは、国務院台湾事務弁公室です。いわば中国政府の「台湾担当庁」。王在希副主任と会談しました。

 王副主任は、「日本と中国の関係はアジアと世界の平和にとって大事。国と国の間や党と党の間に若干矛盾があるが恥ずかしいことではない。意見が違っても、双方が尊重しあえば、長い目で見てプラスになる」と切り出しました。

 そして「台湾の現政権には独立をめざす動きがあるが、台湾民衆の 3 分の 2 は現状維持を望んでいる。中国政府としては、『一つの中国』の原則を守りながら、統一に関することはゆっくり話し合おうという立場だ」と語ります。

 私は「台湾問題で日本の国民や政界にはいろんな意見があるが、平和的解決を望む点では共通の願望がある。その点で大事なことは一つの中国の原則を堅持すること。日本はとりわけ 1895 年に台湾を中国から奪い、50 年間の植民地支配を行い、1945 年に中国に返還したという歴史的経緯からも、『一つの中国』の原則を守る特別の責任がある。同時に『一国二制度』という道を進む場合、イギリスやポルトガル政府との返還交渉だった香港やマカオと違い、台湾住民の支持、台湾の民心を得ることが大事。その点で王氏が『統一に関することはゆっくり話し合う』と述べたことは大事だと思う。台湾の民心を得るために取り組んでいることをお聞かせ願いたい」と質問。

 これに対して王副主任は「一つの中国という原則への深い理解に感謝する。台湾の平和統一のためには大多数の台湾民衆の支持を得なければならないのはその通り。しかし現在大多数の民衆は大陸の真相を知らない」と言います。

 そして、「台湾の広範な民衆は独立に反対している。そして大陸の真相がわかれば、必ず平和統一を受け入れる。今後両岸人民の交流を進めていく。夏には台湾の学生を呼んで親交を深めている。複雑で時間のかかる膨大な仕事だが必ず実現させたい」とのことでした。

 その後、中国共産主義青年団(共青)、中華全国青年連合会(全青連)本部に向かいます。ここでは周強氏(共青団第一書記、中国共産党の最年少中央委員)らと会談しました。

 私と同じ 44 歳の周強氏は「若い世代での日中交流を進めたい」ということを何度もくり返し、この若手議員団の訪中がその契機となることへの期待を語りました。

 また、会談の中でサッカーアジアカップの応援問題が話題となりました。周強氏は「文明的でない行為だった」とし、中国政府もこのことを重要視していること、このような事態を受けて、オリンピックに向けてサッカーのサポーターの団体をつくったことなどが紹介されました。

唐家セン国務委員と:中南海にて

 その後中国共産党と政府の本部機構が集中している中南海へ。日本で言えばさしずめ「永田町」でしょうか。しかし、中南海は永田町とは大違いのうっそうとした森の中にありました。ここでは日本でもおなじみの唐家セン国務委員(前外相)と会談しました。最初のあいさつで私が握手したら、唐家セン氏は「不破さんも(アジア政党会議で)お見えになっていましたね」と声をかけてきました。流ちょうな日本語で、通訳抜きで会談は行われました。

 唐家セン氏も日本の青年政治家の交流を大歓迎し、「年 1 回といわず 2 回訪問することを提案します」とのこと。そして、「中日友好に何が必要でしょうか。関係は成熟してきてはいるが、発展しているのはあくまで経済分野です。政治分野ではルールが必要です。互いの行動するルールで、それは日中共同声明の原則なのです。トウ小平氏がよく言っていたが『時々あれこれのことが生じるが、それをのりこえてこそ友好は進む』のです」と語ります。小泉首相による靖国参拝後の日中政府間に生じている関係悪化や、台湾の独立を強く主張している李登輝氏の訪日の動きを念頭に置いた発言でしょう。

 夜は釣魚台へ。これまた広い庭園の中に建物がぽつぽつと建ち並びます。そのすべてが国内や各国からのお客を歓迎するための迎賓館となっており、一晩にいくつもの宴が同時進行するのです。中国という国のスケールの大きさを感じさせました。ここでは中日友好協会の宋健会長主催の夕食会が開かれました。

中国の六日間・目次9/59/69/79/89/99/10
初めての中国訪問、まずは北京へ 北京で若手研究者と刺激に満ちた交流。そして鄭州へ
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